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13 :名刺は切らしておりまして:2012/01/30(月) 23:21:25.34 ID:h6r1+Pkc
»6
どうでもいいんだけど、日立グループでもなく船も造ってない日立造船はなんなの?
17 :名刺は切らしておりまして:2012/01/31(火) 00:07:14.75 ID:krRMkaxU
»13
株式会社としての実態があるだけ神聖ローマ帝国よりかはマシ。
正面下、背中に刺青を入れたアジア系の女性が中国。
絵の左、熱心にまじめに打っているのが日本。
上着を着て横を向いているのがアメリカ。
寝転がってみだらな状態なのが、ロシア。
隣で立っている小さな女の子が、台湾。
これは「北京2008」という油絵だ。
最近、欧米やインターネット空間で、筆者が用いた顔料の千倍以上もの量の唾が飛び交うような議論を巻き起こした 。
画家は劉湓と言い、カナダ在住の中国人だ。
興味深いのはこの絵のタイトルは北京2008であり、
描かれているのは麻雀を打つ4人の女性¥だが、実は背後 に様々な意図が隠された意味深な絵なのである。
中国(正面下の女性)は場の「東」を鳴いている。これに は二つの意味が含まれている。
一つ目に、中国が「東風」の力を借りて再び巻き返そうと しているということ。
二つ目に、「東風(という)ミサイル」は中国がすでに場 に出した有力な武器だということ。
中国の形勢は端から見れば悪くはないが、他の牌がどうな のかは分からない。
そしてその女性は卓の下で小細工を働かせている。
アメリカは胸中に勝算を秘めているような様子で、台湾の 方を見て、意味深な表情をしている。
一方で台湾の表情から何かを汲み取ろうと必死になっており、
また一方で視線で台湾に何らかの暗示もしている。
ロシアはもうどうにでもなれというような表情でいるが、実はそうではない。
右足を通じてアメリカとグルになり、また一方で中国に牌を渡している。
ここから、この二カ国は裏で互いに利益を交換しているともとれる。
日本人はただひたすらに自分の牌を見ている。
他の人が何をしているのかを全く知らない。
ただ、自らの牌を打つ事だけに気を留めている。
台湾は中華文明の真の継承者を意図した赤い腹かけ(肚兜)を身に纏っている。
台湾は片手に果物を、もう一方に果物ナイフを持ち、
陰険で憤りを含ませた表情で中国をじっと見ている。
しかしどうしようもない。麻雀に入ることはできないし、最後に誰が勝利しようと、台湾はただ勝者に果物を切ってあげることしかできない。
窓の外の河や薄黒い雲は濃く、両岸(中国―台湾間)情勢の危機、一触即発の様相を暗示している。
とても興味深いのは壁の肖像画で、孫文の髭、蒋介石の禿げた頭、そして毛沢東のいで立ちを拵えている。
四人の女性の服装についてみてみよう。
中国の上半身は裸で、下半身はスカートとショーツをはいている。
アメリカはレースのマントと下着を着ているが、下半身は裸である。
ロシアはショーツしか残っておらず、
日本はすでに何も残っていない。
つまりこれらは各国の情勢を克明に浮かび上がらせている。
アメリカが着ている衣服は端から見れば最も整っており、実力も最も強大である。
その他はいずれも体を隠すこともできないものもある。
しかしアメリカの容貌は光にあふれているように見えるが、しかし実際のところすでに自らのボロを見せている。
そして中国とロシアは確かに容貌は裸ではあるが、重要なのは二者の陰部が隠れきれているところである。
仮にこの局を脱衣麻雀だとしよう。誰が誰に負けて脱がされたのか。
一局目が打たれ、中国が負ける。そして現在のロシアの状態までになる。(ソ連解体と状況は似ている)
アメリカが負け、そしてロシアの状態にまで堕ちる、
ロシアが再び負け、今度は徹底的に何もない状態まで堕ちる。
そして日本は、実はすでに何もない状態に。
ロシアは公正に牌を打っているように見せかけて、実はロシアは中国と牌を交換している、
真面目に打っているのは日本。というのもすでに何もなく、一度負ければすぐに席を立たなければならないからだ。
つまりまとめると、アメリカは最も猫かぶっていて、最も色鮮やかに輝いているように見えるが、実は危機はそこまで小さくなく、もしこの一局に敗れれば、たちまち「親」の地位を失うことになる。
ロシアは双方と裏で手と足を引いており、最も陰険狡猾、状況は解放後の中国に似ており、ソ連やアメリカのような状態に傾く可能性がある。と言うのも自らに力が凝集されておらず、双方がどうなるかによって自らの生存と発展を求めている。
中国の牌の多くは見ることができず、これは中国が多くの実力を隠していることを説明しているのだろうか?しかも卓の下ではロシアと牌を交換しており、またアメリカ人は台湾の表情で中国とロシアが何をしているのかを推測することしかできない。
日本はすでに何も残っておらず、ただ自らの牌を打ち続けることに必死である。
台湾は冷静に状況を見ており、卓の上の4人が何をしているかをすべて把握している、心情は明らかだが麻雀を打つ資格も能力もなく、また話す権利も存在せず、不満を抱いても何にもならない、ただ女性らしくおとなしくし、勝利者に果物を献上する他ない。
勝利者はおそらく中国かアメリカの間に生まれるだろう。この懸念は大きくはない。
しかしはっきりしているのは、アメリカの力がたとえ強くとも、4人が遊んでいるのは中国の麻雀であり、ポーカーではない。
中国人の決まりに従ってゲームを行う。アメリカ人に勝算は果たしてあるのか?
(Source: toronei, via vmconverter)
例えば、優れた売れっ子のマンガ家がいて、老練な担当者がついていて、名アシスタントがいて、才能ある若手アシスタントがいて、10人のチームでマンガを描いていたとしよう。一方、大して技術もない凡人を100人集めて、前出のチームと同じマンガができるとかと聞かれたらどう思うだろう?殆どの人はそれは無理じゃない?と思うだろう。1000人でも無理かもしれない。
開発も同じなんだよ、本質的にはね。
でもそう思われにくいのはなんでだろう?それは多分、開発に従事する人にはマンガ家のような才能や際立った技術は必要ないと思われてるからだ。言われた所を言われたようにベタを塗るだけがプログラマの仕事だと思われているからだ。実際それをプログラマなのだと定義している会社もある。技術はお金にならない低俗なものだという偏ったイメージもこの世界には蔓延している。それが上流偏重の問題なんだ。
売れっ子のマンガ家のような設計(マンガで言えばネームや原作)からプログラミングまでこなせる技術者、老練な担当者のようなプロジェクトマネージャ、名アシスタントのような匠のプログラマ、勉強熱心な技術者は実際に存在してる。並以下の人材を倍集めたって100人集めたって彼らと同じものができるわけじゃない。
でも、どんなプロジェクトにもそんなスター的な人材が確保できるとはいえないし、単純な増員で対応できるようにする必要が、日本の大きな会社や大きなプロジェクトではあった。それを可能にするのが分業化だ。工程を徹底的に分業化することで、末端のセクションの習得コストを出来る限り低くし、品質の維持も図る。言い方を変えれば、創作を出来る限り製造にするということ。
それによるデメリットは明確だよね。新しいアイデアが実現されにくくなる。時代の流れの速さに追いついていけない。個々の持っているスキルが生かされない、技術が評価されない。技術者のモチベーションが下がる。なにより、正しい分業化とマネージメントが行われずに盲目的に人数を増やすと、ただただ炎上にしかならないってこと。お金だけが莫大にかかっていくということ。
東芝から電子ブックリーダーBookPlaceDB50、7型カラー液晶採用— Engadget Japanese
要はシャープの初代ガラパゴスやアマゾン Kindle Fire のように電子書籍としてカスタマイズしたタブレットで、汎用のAndroidタブレットを使う人はアプリで、「電子ブックというものを買うと1台で何冊分も本を持ち運べるらしいじゃないか」という方にはシンプルなこちらを使ってくださいという位置づけの製品です。
(via chaosszap)